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インスティトゥト・セルバンテス東京公式ブログ

インスティトゥト・セルバンテス東京の公式ブログです。スペイン語、スペイン語圏の文化に関するコースやイベントの情報が満載!

アカプルコを通って日本からスペインへ: スペインと日本の関係の起源についての簡単な説明(その2)

Hasekura_en_Roma

前回の私たちのブログの記事では、侍、支倉と修道士ルイス・ソテロがスペイン国王フェリペ3世と教皇パウロ5世に会うために、メキシコからスペインに向けて出発したところでお話が終わっていました。

私たちの旅行者は、1614年10月5日にサンル-カル・デ・バラメダに到着しました。そこでは、彼らはメディナ・シドニア公に迎えられました。その後、彼らはセヴィージャ、コリア・デル・リオ、コルドバとトレドを通り、異国情緒あふれる大使館に敬意を払いました。最後に、彼らはマドリッドに到着し、国王フェリペ3世によって迎えられました。

支倉と修道士ソテロは、国王にスペインとの商業同盟を求めるとともに、日本の伝道プロセスを援助するために、より多くのフランシスコ会修道士を送ってもらえるよう依頼しました。さらに、侍、支倉は、王たちの前でキリスト教の洗礼を受け、フェリペ・フランシスコというキリスト教徒の名前を授かることとなったのでした。一方、修道士ソテロは、ローマに行くために財政的支援も要請しました。この援助については、裁判によって8ヶ月かかった後、ようやく認められました。

代表団はサラゴサを通過し、バルセロナでジェノヴァに向けて出航し、1615年10月にローマに到着しました。教皇パウロ5世は、それを受けて、彼らが提示したすべての請願を支持していました。しかし、彼は約束はしたくありませんでした。最終決定はスペイン国王の決断にゆだねるべきだと判断していました。

一方、日本では徳川家康が死亡しました。その事実は日の出の国の政治経済状況を変えました。キリスト教徒に対する迫害を強化していた日本のキリスト教徒の悪化状況に関するニュースは、ヨーロッパにまで届いていました。

このような状況の下、1616年1月、日本大使館はスペインに向けて出発し、マドリッド裁判所に向かう途中で、手紙により彼らの要求が受け入れられなかったことを知らされました。彼らはまだセヴィージャにいたのですが、侍、支倉と修道士ソテロは自分たちの要請を受け入れてもらえるよう、再度、枢機卿ボルゲーゼ、教皇と国王に何通かの手紙を送るという最後の努力をしたものの、結果的に無駄な努力となってしまいました。

1617年7月4日、彼らはメキシコに向けて出発し、1618年にマニラに到着しました。支倉は1620年にようやく日本に帰る許可を得られましたが、それまで絶え間なく届いていた支倉の知らせはここで途絶え、1622年、支倉の死因は誰にも知られないまま、彼は逝去することとなってしまいました。

修道士ソテロは日本におけるキリスト教徒の扱いが悪化している状況にもかかわらず、1622年、商人になりすまし、日本に戻ります。けれども、すぐに捕らえられ、1624年に長崎の近く大村で生きたまま焼かれてしまいました。

要するに、この10年近くにわたる世界一周の旅は、日本とスペインの間の商業協定と、日本のキリスト教普及におけるより大きな協力という主要目標には達することはできませんでしたが、これまで遠く離れた2国間の最初の外交接触となったのでした。

目標は達せられなかったものの、現在でもなお、その冒険の証拠と痕跡を見つけることができます。いくつかの国の書庫で当時の書簡や書類が保存されています。また、絵画には西洋風に装った支倉を見ることができます。そして、コリア・デ・リオのような場所やスペインにおいてさえも、おそらくこの最初の日本大使館に起源を持つと考えられる「ハポン」という苗字の人々が今でも存在しています。

本文 ウ-ゴ・パラシン・ホルダン

翻訳者 成田千恵

書誌

アカプルコを通って日本からスペインへ: スペインと日本の関係の起源についての簡単な説明(その1)

Hasekura orando, tras su conversión al cristianismo en Madrid en 1615.今年2018年で、スペインと日本の外交関係樹立 150 周年を迎えました。 二国間の友好関係、貿易や航海の条約に署名したのは1868年に遡ります。にもかかわらず、初めて日本大使館がスペインに置かれたのはそれよりずいぶん前でした。 この冒険は、400年以上前の 1614 年に遡ります。

当時、日本が変化を遂げていた頃で、太平洋での貿易の増加や日本でのキリスト教の 普及を目指して、これらの目的を実現するためにスペイン人はもちろん、多くの外国人が来日していました。 当時の背景は一部、マーティン・スコセッシの「シレンシオ(沈黙)」という映画に反映されています。主人公は 2人の イエズス会のポルトガル人でしたが。

17 世紀の初めに、徳川家康は、さまざまな日本の大名との間での衝突を終わらせ、封建制度を確立しました。 その時点では、スペイン帝国はマニラ(フィリピン)に、重要な商業の基盤を置いていました。マニラからメキシコへの航海中は海流により、日本を通ることを余儀なくされていました。実際、1609年にフィリピンの暫定知事、ドン・ロドリーゴ・ヴィヴェロ・ヴェラスコが、フィリピンからメキシコに向かう途中、。船が難破し、偶然、日本の御宿の海岸に到着しました。(抱擁の難破船について聞いたことはありませんか。

この出来事により(難破した際、御宿の住民は衣類や食べ物を乗組員に与えたり、家康はドン・ロドリーゴ達を丁寧にもてなした。)、徳川家康、息子の秀忠と幕府はドン・ロドリーゴを介して、メキシコの副王領との間の貿易関係を良好にする機会を得ることができました。 この最初の機会では、すでに日本にいたフランシスコ会修道士だった ルイス・ソテロが交渉の通訳を務めました。

同時に、この頃、スペインは、国王フィリップⅢ世の命令によって、日本の東側にあるという金と銀が採れる伝説の島を発見するために遠征の準備をしていました。そのために、メキシコの総督はセバスチャン・ヴィスカイーノ大将を1611年に江戸幕府に着くように送っていました。この際の家康、秀忠と幕府との対面でも、修道士ルイス・ソテロが通訳でした。

この時、江戸幕府はスペインの君主と直接、通商開設の交渉をするために、日本大使館をメキシコ、スペイン、イタリアに置くという計画を遂行します。また、江戸幕府は、ローマ教王に日本におけるキリスト経の更なる普及をするという使命のために宣教師派遣の支援を求めていました。この最後の点については、歴史学者によると、この要請は日本側が真の関心があったというよりは、江戸幕府のために通訳していた修道士ルイス・ソテロの要請によるものであったようですが。

徳川家康は奥州の北部の大名、伊達政宗の臣下に遣欧使節を委任しました。伊達政宗はメキシコに到達するための造船や侍の支倉六衛門長経を正使として選ぶなどの任務を果たすこととなりました。偶然にも、セバスチャン・ヴィスカイーノ大将の船が前述の通り、フェリペ3世によって遣わされていたのですが、日本への旅で船は大きな損傷を受けていました。そのため、大将はメキシコに帰るためには、この計画の協力に応じるしかありませんでした。

2 年後、 1613 年10月、侍、支倉 六衛門と約 150人の 日本の商人で構成された彼の側近、彼の通訳者である修道士ルイス・ソテロ、そしてヴィスカイーノ大将と彼の乗組員は、アカプルコに向けて出港し、 1614年 1月 に到着しました。記録によると、 主役となった日本の使節団はそこで出逢ったスペイン人とかなりの口論となり、アカプルコ市長自身の介入を余儀なくされました。

まもなく、メキシコ市街に到着した時、彼らは総督、メキシコの大司教の前で、また異端審問で、スペインへの旅行の目的を説明しなければなりませんでした。そのため、しばらくしてからスペインへの旅への許可が下りたのでした。こうして侍、支倉六衛門長経、修道士ルイス・ソテロと30人以上はようやく、ヴェラクルス港からスペインへ向けて出向しました。 残りの側近は支倉の帰りを待つために、アカプルコへ戻りました。
この後の出来事は、この物語の第二部でご紹介します。

本文 ウ-ゴ・パラシン・ホルダン

翻訳者 成田千恵

書誌

イベリア航空による小作文コンテスト スペインで一番好きなこと

イベリア航空による小作文コンテスト
スペインで一番好きなこと

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概要
1. このコンクールの参加対象者は、インスティトゥト・セルバンテス東京の生徒、図書館会員、そして2018年5月に日本でDELEを受験された受験者となります。各参加者小作文1点のみ提出いただけます。

2. 小作文の字数は400ワード未満まで(25行、フォントはTimes New Roman 12ポイント)、自筆であり未刊のもののみとなります。

3. 小作文はスペイン語、もしくは日本語でお書きいただけます。

4. テーマはコンクールのタイトルに関係するものでなくてはなりません。テーマ『スペインで一番好きなこと』
5. にあたっては小作文を centok@cervantes.es まで、Eメールでお送り下さい。(件名は“Concurso de mini-relatos Iberia” でお願いします。)またメール文中に、ご自身のお名前(フルネーム)と住所、電話番号、現在登録されているコース番号、コース担当の講師の名前も記載下さい。図書館会員は会員番号を、11月DELE受験者は受験番号を記載ください。

6. 小作文の提出期限は2018年4月28日(土)までになります。

7. 受賞者の発表は、2018年5月25日(金)に、インスティトゥト・セルバンテス東京のブログ(http://palabras.jp/)にて行います。

8. 受賞者選考は、インスティトゥト・セルバンテス東京館長により統轄され、且つインスティトゥト・セルバンテス東京の職員によって構成された審査員が行います。作文の表現力、創造性、独創性といった要素を評価した上で受賞者を選考します。

9. 受賞者景品は以下となります。

スペイン語小作文最優秀賞:東京―マドリッド間の往復旅行

日本語小作文最優秀賞:東京―マドリッド間の往復旅行

2018年10月までにご利用いただかない場合は、賞の有効期限が切れてしまい、旅行ができなくなる恐れがあります。

10. この小作文コンクールの参加者は、コンクールの概要、当センターの決定事項に同意し、いかなる異議申立の放棄をしたものとします。

11. 当センターは、今コンクールにおいて、明らかに不適切な表現などが見られるものについては失格させることのできる権利を有するものとします。

12. 当団体は、不慮の出来事に対する処置を決定する権利を有するものとします。
13. 当センターは、提出された作文の一部もしくは全文の編集あるいは複製できる権利を有するものとする。

14. 受賞者は、受賞された作文において報酬などを当センターに申し立てる権利を放棄します。また提出された作文は、すべて普及と促進のみに使われます。

15. 受賞者はテレビ、刊行物、ラジオ、インターネットで使われる為に、画像などの権利を放棄する必要があります。

16. 今コンクールへの参加は、コンクールの概要に同意したものとみなされます。

17. 個人情報保護条項。個人情報保護の規則に準じ、コンクール参加者は情報を提供し、現在もしくは将来においていただいた情報がファイリングされること、さらに同参加者の情報はインスティトゥト・セルバンテス東京の商業、財政、機能、統計目的で使用されるものとし、同センターのデータ保管と、適切な営業を目的としたマーケティング調査の実施に使われることを同意したものとする。インスティトゥト・セルバンテス東京は今コンクールに提供された全ての個人情報を保護し、スペイン王国の個人情報保護に関する組織法1999年法令第15号基づいて使用されるものとする。今回の同意は前述の効力を持ち、これに対してする抗議、情報アクセス、修正、データ消去と遡及的効力の無い認可撤廃の権利行使の可能性を害することなく許諾され、インスティトゥト・セルバンテス東京の通知により権利行使されるものとする。

皆様の参加をお待ちしています!

IBERIA

Iberia

www.iberia.com/jp

インスティトゥト・セルバンテス東京は11月27日 “世界のスペイン語2017年” 年鑑を紹介しました

portada_anuario_20175億7千2百万人の人々がスペイン語を話しています。一年前より5百万人増え、21世紀半ばまでには7億5千4百万人に増加するでしょう。

世界中で5億7千2百万人の人々がスペイン語を話しています。そのうち4億7千万7百万人の人々は母国語で、1年前より5百万人以上増加しました。今世紀半ばには、スペイン語を話す人々は、7億5千4百万人になるでしょう。

スペイン語を母国語とする使用者の数は、世界で中国語(9億5千万人)の次です。今日では、世界の人口の7,8%の人々がスペイン語を話していることになります。この割合は英語、中国語使用者の割合が減る間も、少なくとも2050年までは変わらず続くでしょう。

これらは11月27日に、インスティトゥト・セルバンテスの“世界のスペイン語2017年”年鑑に収集された最も重要な資料で、インスティトゥト・セルバンテスの館長フアン マヌエル ボネット、学術所長リカルド ブエノ、教授ダビッド フェルナンデス ヴィトレス、フェルナンド ガルシア カサスが紹介したものです。

“世界のスペイン語”はセルバンテスの専門的な主要な出版物であり、研究者、文献学者、世界中のスペイン語の先生方やスペイン語の研究家のための情報の著作で、1998年に初めて出版されて以来、2017年でその出版の歴史は20年に及びます。

この年鑑はセルバンテスの電子図書館にて閲覧できます

出版物の記録へのアクセス

著作 : インスティトゥト・セルバンテスのプレス部門

翻訳 : 成田 千恵

EU7カ国が日本でのスマートシティに関するシンポジウムにこの週末参加

201774日、東京。慶應義塾大学において、来たる7月8日9日に「サステナブル建築とスマートシティ:都市空間の再ヒューマン化都市」と題してシンポジウムを開催する。日本および欧州7カ国から代表が出席し、建築と未来都市についての概念を議論し、交流する。

このイベントは、東京の欧州文化センターのネットワークであるEUNIC Japan、東京理科大学および慶應義塾大学のグローバルリサーチインスティテュート(英語の頭字語、KGRI)が主催している。著名な日本人建築家、槇文彦がシンポジウムの開会を飾る講演をし、サステナブル建築とスマートシティを定義、経済・環境・社会的側面に焦点を当て、3種のパネルディスカッションを構成する。18人の建築家がこれらのパネルディスカッションに参加し、結果はシンポジウムの閉会式にて発表されることになっている。

現在、都市は大きな課題や急激な変化(自然災害や移民、テロなど)に直面しており、将来的に起き得る困難を予測し、それに対してどのような建築形状を以って対策するかを考える必要がある。しかし、持続可能性と豊かさに基づき、我々が望む都市のモデルについて自問自答し、我々が追求したいとする目的を意識する必要がある。

2020年東京オリンピックやヨーロッパの都市における移民の効果における影響などのテーマは、我々が共通の未来に、複数の建築や都市が選択する可能性のある方向を調査することを目的とし、イベント中に議論されることになっている。

文: Esther Miranda

ペルー国のインカ・ガルシラソ文化センター マドリードのセルバンテス文化センター本部に開設

Centro_inca_garcilaso ペルー文化普及を推進するインカ・ガルシラソ文化センターは、スペイン国内最初のペルー文化普及機関として、マドリードのセルバンテス文化センター内に開設されます。その為、3月3日月曜日、セルバンテス文化センター理事のフアン・マヌエル・ボネットと、ペルー外務関係省事務総長のエリック・エドガルド・ギジェルモ・アンデルソン・マチャドは、リマで合意の署名を行いました。

インカ・ガルシラソ文化センターは、既に開設されているUNAMメキシコ学習センター、コロンビアのカロ・イ・クエルボ文化センターに続く、3つ目のラテンアメリカ機関となります。これにより、セルバンテス文化センターは更に「ラテンアメリカ化」されることとなります。

合意書では、インカ・ガルシラソ文化センターの活動のために、マドリード(バルキジョ通り4-6)のセルバンテス本部の会議室、展示室、教室を使用することができることが明記されています。

新設されるインカ・ガルシラソ文化センターは、セルバンテス文化センターのみならず、世界各国の関連機関(ヨーロッパ・南北アメリカ・アジアの計198の機関)、スペイン語能力証明(DELE)、SIELE、AVE、そして教師達と協力し、スペイン語の世界の国際的な文化普及を行っていきます。

同様に、インカ・ガルシラソは、ペルーの言語の多様性、海外ペルー文化政策計画の実施、ペルーやスペイン文化の普及と展示など、セルバンテス文化センターのネットワークを用いた文化活動を提案していきます。

この記事についての詳細は、セルバンテス文化センターのプレスのウェブサイトでご覧いただけます。

(訳:高島 笑里)

フアン・マヌエル・ボネット

toma-posesion-bonet-71月21日、スペイン政府内閣はフアン・マヌエル・ボネットをセルバンテス文化センター長に任命しました。

フアン・マヌエル・ボネットが最も目指す目標は、「全ての文化産業業者とセルバンテス文化センターとの連携強化」と、組織を強化し「これまでにない多様な論議と芸術的な対話を作る、共存の自由の空間」を作ることです。

さらに、「造形芸術(写真やビデオを含む)、演劇、映画、音楽、ダンス、デジタル文化はもちろん、科学や食文化などの領域の創作者と表現において、これまでにない現代感と我々の時代の作品がある」空間にしていきます。

「拡大し続けるスペイン語で、話し、書き、創造し合う皆の家」であるセルバンテス文化センター長に任命される「大きな光栄」を受けるに当たり、フアン・マヌエル・ボネットは、アメリカのスペイン語話者を主役として注目していきます。

「様々なスペイン語が話され、近代の文学や芸術において大きな貢献をしているアメリカ大陸」、スペインからのメキシコ、アルゼンチン、その他の国々へ亡命した人々が成し遂げた大きな貢献を忘れないことを明言しました。

フアン・マヌエル・ボネットは同様に、セルバンテス文化センターが他の公用語であるカタルーニャ語、バスコ語、ガルシア語とその文化を普及させ、教育することへの貢献を強調しました。

フアン・マヌエル・ボネットの生涯

フアン・マヌエル・ボネットは2012年からパリのセルバンテス文化センターに赴任していました。作家であり、芸術、文学の批評家であり、数多くの展示会を主催してきた委員であります。

経歴
バレンシア現代美術館館長
王立ソフィア芸術センター(マドリッド)館長
ラファエル・カンシノス・アセンス代表
ビセンテ・ウイドブロ基金国際委員代表

詩や評論、学術論文のみならず、帳簿やディクシオナリオス・デ・ラス・バングアルディアス・エン・エスパーニャなどの著書があります。また数多くの展覧会を委員として主催したり、芸術、写真、文学、音楽、政治の批評を行った経歴があります。

スペインにあるセルバンテス文化センター本部のウェブページではこの記事の完全版がご覧いただけます。

情報源:セルバンテス文化センター報道部
翻訳 : 高島 笑里, 井出聖峰

世界のスペイン語 2016年セルバンテス総会

2016年セルバンテス総会セルバンテス文化センター東京 12月13日 世界のスペイン語 2016年セルバンテス総会

このために、館長のビクトル・ガリシア・デ・ラ・コンチャは、25年前にセルバンテス文化センターが創設してからの歴代館長をマドリード本部へ招集しました。

ガルシア・デ・ラ・コンチャとともに集まった前任者は、ニコラス・サンチェス・アルボルノス、タマロン侯爵、フェルナンド・R・ラフエンテ、セサル・アントニオ・モリナとカルメン・カファレルです。

世界のスペイン語2016では、過去25年間に行った仕事の分析をしました。重要な出来事の完全な年表と、世界のスペイン語のバ一ジョンアップしたデ一タの分析を含みます。同じく先の館長たち、スペイン文化の優れた専門家や重鎮たちの論文もあります。

540ぺ一ジからなる年報は、この25年間に遂行された仕事と未来における役割についての質問への、文化の12人の重鎮の回答から始まります。

年報にはダビ・フェルナンデス・ヴィトレスによって書かれたレポート「セルバンテス文化センター創立からの、国際コミュニケ一ション言語としてのスペイン語とその拡大」があります。

教育、文化、コミュニケーションにおけるセルバンテスの活動について、
各分野の役員であるリチャ一ド・ブエノ、ベアトリス・エルナンツ、ハシント・アラメンディのコーディネートにより、3つの論文が発表されました。

また文化外交の役割も研究されました。アドルフォ・エリサンシン(ウルグアイ共和国大学)による「アメリカの視線」。アレックス・グリヘルモは、1997年のサカテカス(メキシコ)から、2016年のサン・フアン・デ・ プエルト・リコまで開催された7つの国際会議をレビューしました。

年報は参加した全44カ国、87都市の世界のセルバンテス文化センターのダイレクトリーで締めくくられています。

翻訳 : 五十嵐テル子  鶴羽 正高、高島 笑里

ザ・アート・オブ・クリスマス・キャロル

The Art of Christmas Carolsついに12月になりました。それとともに街はクリスマスの明かりとお祭りムードで賑わっています。セルバンテス文化センター東京EUNIC JAPAN協賛の下で、ザ・アート・オブ・クリスマス・キャロルのお祭りを開催します。日時は、本日12月9日の17時から21時までです。

キリスト教の伝統では、神童イエスの生誕を記念して12月25日にクリスマスをお祝いします。クリスマスのお祝いと関連した伝統や習慣が数多くあります。ヨーロッパ中でクリスマス・マーケットが開かれ、クリスマス特有の料理が振舞われるのです。家の中は、クリスマスツリーやリースが飾られ、クリスマスの明かりや他の飾りがあふれかえっています。そして必ずクリスマス・キャロルを歌うのです。

ザ・アート・オブ・クリスマス・キャロルで東京の街をヨーロッパのクリスマスの伝統的な雰囲気に包みたいと思います。クリスマスマ・マーケットとクリスマス・キャロルのコンサートの2つのメインイベントが開催されます。。クリスマス・ムードを高めるため、EUNIC JAPANの働きかけによって、オーストリア、チェコ、アイルランド、ポルトガル、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、クロアチア、そしてもちろんスペインが参加しています。各参加国からアーティストが集結し、各地域のクリスマスソングをお届けします。

イベント内容:
クリスマス・マーケット

クリスマス・マーケットの起源は中世までさかのぼります。街の伝統的な商業の中心地であった広場に集まっていてました。伝統的な工芸品やクリスマス飾りなどによって、とても人気だったので。

クリスマス・キャロル・コンサート(出演者一覧)
フロリアン・フェイルマイア(オーストリア)
ルーマニア正教会教区聖ジョージ子ども合唱団:「喜びの羊飼い」(ルーマニア)
エヴァ・ミクラス(チェコ)
東京国際児童合唱団(TICC)(日本)
津森久美子:ファド歌手・ギター 、上川保:ポルトガルギター(ポルトガル)
ヨアンナ・チェルニャック(ソプラノ)、ピョートル・ニッキール(テノール)、栗原美穂(ピアノ)(ポーランド)
二期会スペイン音楽研究会(スペイン)
ブルガリア民族音楽グループ「バルカン」!

文:シルビア・アゲリ
訳:井出聖峰

日本の中のペルー

日本の中のペルーセルバンテス文化センター東京では11月の期間中、アンデスの国のペルーの映画を特集しています。また、図書館の特別コーナーでは、ペルーの歴史、文学、文化を紹介しています。

日本とペルーの関係は、初めて日本人がアメリカ大陸の国々に移住した19世紀後半にさかのぼります。日本とペルーは1873年に外交関係を結びましたが、実際の関わりは1899年に大勢の日本人移民がリマに到着したのが始まりでした。ペルーは、ラテンアメリカで初めて日本との外交を確立した国で、ほとんどが若い男性労働者だった日本からの移民を認めた、中南米最初の国でもあります。

この移民は経済的な理由が中心だったといわれています。その頃の日本は、人口過剰による民主主義の危機と雇用不足で苦しんでいました。一方で、当時のペルーは地方の労働者を必要としていました。

そのほぼ100年後の1980年代から90年代にかけて、ペルーからたくさんの日本人移民の子孫達が戻ってきました。彼らは”日系”ペルー人と呼ばれました。彼らはこの時代のペルーの社会と経済の危機によって、先祖がしたのと全く同じことをしたのです。

日本政府はこの日系人の回帰を受け、日本の産業における労働力の必要性から、当時の移民法を見直すことによって彼らを受け入れたのです。

このペルー映画特集は11月9日(水)から始まり、2007年のアウグスト・タマヨ監督の作品『ウナ ソンブラ フレンテ』と、2008年にホセ・メンデス製作された『ディオセス』の2つの作品を上映します。どちらもペルー国内外で高い評価を受けた珠玉の作品です。

アウグスト・タマヨ監督は1972年に彼の父親によって書かれた小説からインスピレーションを受け、同じタイトルでこの作品を製作しました。主人公はペルー人の若いエンジニアで、アマゾンの森と国々を繋ぐ使命を受けます。この作品は2008年アカデミー賞非英語映画部門にノミネートされました。

ホセ・メンデスの『ディオセス』は、リマ南部の美しい海岸に住む家族の複雑な関係を描いた作品です。この作品はペルー、アルゼンチン、フランス、ドイツによる共同制作で、20世紀の終わりから21世紀始めのペルーの社会的地位の高い人々の生活を描いています。この映画は35以上の国際的な賞を受賞し、ペルー映画史上、最も多くの賞を獲得した作品となりました。

セルバンテスの図書館では、ペルーに関する本や映画のDVDを取り揃えていますので、ぜひお越しください。また、11月29日からは、ペルーの伝統織物の展覧会を行います。ミチェル&シアの国際コンクールの受賞作品の中から、手の込んだ繊細な手法の染色織物を展示します。

入場料は無料ですが、事前のご予約をお願いします。

文:シルビア・アゲッリ
翻訳 : 鶴羽 正高、高島 笑里

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