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インスティトゥト・セルバンテス東京公式ブログ

インスティトゥト・セルバンテス東京の公式ブログです。スペイン語、スペイン語圏の文化に関するコースやイベントの情報が満載!

難破船が残した300の抱擁と1つの時計

今年、2018年で、スペインと日本は両国の友好通商航海条約によって結ばれた外交関係が始まって、 150 周年を迎えます。以前の記事で、私たちが今日焦点をあてた難破事故について、より具体的に言及し、これらの関係の起源についてお話ししました。

日本の内戦時代の後、徳川家康が日本を統一し、2 世紀以上にわたって続く時代に名を与えた江戸 (現在の東京) に首都を移したのは 1603 年の年でした。

その時代、スペイン帝国があったフィリピンの主要拠点、マニラは最も有名な一つです。このため、フィリピン近くの海で、スペインの船は頻繁に運航されていました。そのため、マニラから1609 年にサンフランシスコ、サンタ ・ アナ、サン ・ アントニオという名前の3 つの ガリオン船が新しいスペイン (メキシコ) へ向けて出航しました。

天候不良のため、他の二つの船と離れ離れになることを余儀なくされたサンフランシスコは、運悪くも、9月30日、大嵐の後、関東の海岸付近を漂流し、ちょうど千葉県の海岸沿い村、御宿の岩和田の海岸に漂着した。

船で旅行していた 373 人のうち、56人 がこの事故により死亡しました。しかし、他の 317人の 乗組員は救出され、岩和田の 300 人の村人によって助けられ、もてなされました。村の海女たち(魚介類を採る女性たち)が、低い水温とおそらくこの状況のストレスのせいで震えていた生存者たちを救出しました。、いくつかの情報源によると、彼女らは漂流者たちを親身に救出したようです。自らの肌で漂流者たちを温め、保護したのです。だからこそ、このエピソードは時に、«抱擁の難破船» と呼ばれています。

このような恐ろしい事故の後、 漂流者たちは、岩和田の村の近く、37日間を過ごした大宮の寺に滞在を許されました。フィリピンの元知事で破損した船の乗客であったロドリゴ ・ デ ・ ヴィベロは将軍、徳川秀忠に会うために江戸へ訪問し、後に彼の父、徳川家康を駿府へ訪問する許可を受け取りました。このため、ドン ・ ロドリゴは日本に滞在し、ガリオン船サンタ・アナでのメキシコへの旅あきらめることを決めました。

将軍との会談では、外交のいくつかの問題を見い出しました。ドン ・ ロドリゴは日本に存在する宗教的なキリスト教徒のために保護と自由を求めました。日本の王とスペインの王の間の友好関係を維持し育む必要性を繰り返しました。そして、最後に当時スペイン王国の敵であったオランダ人を追放するよう将軍に要求しました。

日本のリーダーは、最初の 2 つの要求をのむことには同意しました。しかし、最後の3つ目の要求には応じませんでした。なぜなら、オランダとは既に合意していたからです。この後に、将軍はメキシコへの旅を続けることが出来るようにロドリゴ ・ デ ・ ヴィベロに船の提供を申し出ました。2 ヶ国間の通商路はを開くために商人を連れてくるという唯一の要求と引き換えに。

ロドリゴ ・ デ ・ ヴィベロはスペインと日本の新しい関係につながる交渉活動が始められるように1年以内に船を提供するという条件でこの要求を受け入れました。

こうして、23人の 日本人代表とフランシスコ会の神父アロンソ ・ ムニョスに伴われ、日本大使館をスペインに送るという使命を持ったサン ブエナヴェンチュラ、ガレオン船は1610 年 8 月に日本を出発し、メキシコ に 10 月下旬に到着しました。この遠征は私たちが最初にお話した主題でコリア ・ デル ・ リオで終わる有名な旅の前任の遠征でした。ロドリゴ ・ デ ・ ヴィベロは、 メキシコにとどまりましたが、アロンソ ・ ムニョスはスペインへの旅を続けました。こうして二国間の一連の関係が始まりました。

スペイン王フェリペ 3 世は、村と日本の政府当局によって難破したスペイン人達がどのようにもてなされたかを知らされ、君主が将来、日本の最初のスペイン大使として検討するであろうセバスティアン ヴィスカイーノが指揮する船を日本へ送りました。

この使命では、スペインの王はいくつかの贈り物を徳川家康に送りました。これらすべての贈り物の中で最も有名なものは、最初の日本機械時計と考えられています。この時計は1581 年、スペイン王の時計職人ハンス ・デ・エヴァロによって製造された時計でした。

1611年、スペイン大使館は、後に将軍に時計を贈った浦賀の海岸に到着しました。

この全体の冒険はゴンサロ・ ロブレドによって製作された映画「デル・ナウフラヒオ・ア・ラ・アミスター」から引用しました。セルバンテス・インスティトゥートの図書館にDVDを置いております。どうぞお見逃しなく!

本文 フアン・マヌエル・ガゴ・ブラウリオ

翻訳者 成田千恵

アカプルコを通って日本からスペインへ: スペインと日本の関係の起源についての簡単な説明(その2)

Hasekura_en_Roma

前回の私たちのブログの記事では、侍、支倉と修道士ルイス・ソテロがスペイン国王フェリペ3世と教皇パウロ5世に会うために、メキシコからスペインに向けて出発したところでお話が終わっていました。

私たちの旅行者は、1614年10月5日にサンル-カル・デ・バラメダに到着しました。そこでは、彼らはメディナ・シドニア公に迎えられました。その後、彼らはセヴィージャ、コリア・デル・リオ、コルドバとトレドを通り、異国情緒あふれる大使館に敬意を払いました。最後に、彼らはマドリッドに到着し、国王フェリペ3世によって迎えられました。

支倉と修道士ソテロは、国王にスペインとの商業同盟を求めるとともに、日本の伝道プロセスを援助するために、より多くのフランシスコ会修道士を送ってもらえるよう依頼しました。さらに、侍、支倉は、王たちの前でキリスト教の洗礼を受け、フェリペ・フランシスコというキリスト教徒の名前を授かることとなったのでした。一方、修道士ソテロは、ローマに行くために財政的支援も要請しました。この援助については、裁判によって8ヶ月かかった後、ようやく認められました。

代表団はサラゴサを通過し、バルセロナでジェノヴァに向けて出航し、1615年10月にローマに到着しました。教皇パウロ5世は、それを受けて、彼らが提示したすべての請願を支持していました。しかし、彼は約束はしたくありませんでした。最終決定はスペイン国王の決断にゆだねるべきだと判断していました。

一方、日本では徳川家康が死亡しました。その事実は日の出の国の政治経済状況を変えました。キリスト教徒に対する迫害を強化していた日本のキリスト教徒の悪化状況に関するニュースは、ヨーロッパにまで届いていました。

このような状況の下、1616年1月、日本大使館はスペインに向けて出発し、マドリッド裁判所に向かう途中で、手紙により彼らの要求が受け入れられなかったことを知らされました。彼らはまだセヴィージャにいたのですが、侍、支倉と修道士ソテロは自分たちの要請を受け入れてもらえるよう、再度、枢機卿ボルゲーゼ、教皇と国王に何通かの手紙を送るという最後の努力をしたものの、結果的に無駄な努力となってしまいました。

1617年7月4日、彼らはメキシコに向けて出発し、1618年にマニラに到着しました。支倉は1620年にようやく日本に帰る許可を得られましたが、それまで絶え間なく届いていた支倉の知らせはここで途絶え、1622年、支倉の死因は誰にも知られないまま、彼は逝去することとなってしまいました。

修道士ソテロは日本におけるキリスト教徒の扱いが悪化している状況にもかかわらず、1622年、商人になりすまし、日本に戻ります。けれども、すぐに捕らえられ、1624年に長崎の近く大村で生きたまま焼かれてしまいました。

要するに、この10年近くにわたる世界一周の旅は、日本とスペインの間の商業協定と、日本のキリスト教普及におけるより大きな協力という主要目標には達することはできませんでしたが、これまで遠く離れた2国間の最初の外交接触となったのでした。

目標は達せられなかったものの、現在でもなお、その冒険の証拠と痕跡を見つけることができます。いくつかの国の書庫で当時の書簡や書類が保存されています。また、絵画には西洋風に装った支倉を見ることができます。そして、コリア・デ・リオのような場所やスペインにおいてさえも、おそらくこの最初の日本大使館に起源を持つと考えられる「ハポン」という苗字の人々が今でも存在しています。

本文 ウ-ゴ・パラシン・ホルダン

翻訳者 成田千恵

書誌

アカプルコを通って日本からスペインへ: スペインと日本の関係の起源についての簡単な説明(その1)

Hasekura orando, tras su conversión al cristianismo en Madrid en 1615.今年2018年で、スペインと日本の外交関係樹立 150 周年を迎えました。 二国間の友好関係、貿易や航海の条約に署名したのは1868年に遡ります。にもかかわらず、初めて日本大使館がスペインに置かれたのはそれよりずいぶん前でした。 この冒険は、400年以上前の 1614 年に遡ります。

当時、日本が変化を遂げていた頃で、太平洋での貿易の増加や日本でのキリスト教の 普及を目指して、これらの目的を実現するためにスペイン人はもちろん、多くの外国人が来日していました。 当時の背景は一部、マーティン・スコセッシの「シレンシオ(沈黙)」という映画に反映されています。主人公は 2人の イエズス会のポルトガル人でしたが。

17 世紀の初めに、徳川家康は、さまざまな日本の大名との間での衝突を終わらせ、封建制度を確立しました。 その時点では、スペイン帝国はマニラ(フィリピン)に、重要な商業の基盤を置いていました。マニラからメキシコへの航海中は海流により、日本を通ることを余儀なくされていました。実際、1609年にフィリピンの暫定知事、ドン・ロドリーゴ・ヴィヴェロ・ヴェラスコが、フィリピンからメキシコに向かう途中、。船が難破し、偶然、日本の御宿の海岸に到着しました。(抱擁の難破船について聞いたことはありませんか。

この出来事により(難破した際、御宿の住民は衣類や食べ物を乗組員に与えたり、家康はドン・ロドリーゴ達を丁寧にもてなした。)、徳川家康、息子の秀忠と幕府はドン・ロドリーゴを介して、メキシコの副王領との間の貿易関係を良好にする機会を得ることができました。 この最初の機会では、すでに日本にいたフランシスコ会修道士だった ルイス・ソテロが交渉の通訳を務めました。

同時に、この頃、スペインは、国王フィリップⅢ世の命令によって、日本の東側にあるという金と銀が採れる伝説の島を発見するために遠征の準備をしていました。そのために、メキシコの総督はセバスチャン・ヴィスカイーノ大将を1611年に江戸幕府に着くように送っていました。この際の家康、秀忠と幕府との対面でも、修道士ルイス・ソテロが通訳でした。

この時、江戸幕府はスペインの君主と直接、通商開設の交渉をするために、日本大使館をメキシコ、スペイン、イタリアに置くという計画を遂行します。また、江戸幕府は、ローマ教王に日本におけるキリスト経の更なる普及をするという使命のために宣教師派遣の支援を求めていました。この最後の点については、歴史学者によると、この要請は日本側が真の関心があったというよりは、江戸幕府のために通訳していた修道士ルイス・ソテロの要請によるものであったようですが。

徳川家康は奥州の北部の大名、伊達政宗の臣下に遣欧使節を委任しました。伊達政宗はメキシコに到達するための造船や侍の支倉六衛門長経を正使として選ぶなどの任務を果たすこととなりました。偶然にも、セバスチャン・ヴィスカイーノ大将の船が前述の通り、フェリペ3世によって遣わされていたのですが、日本への旅で船は大きな損傷を受けていました。そのため、大将はメキシコに帰るためには、この計画の協力に応じるしかありませんでした。

2 年後、 1613 年10月、侍、支倉 六衛門と約 150人の 日本の商人で構成された彼の側近、彼の通訳者である修道士ルイス・ソテロ、そしてヴィスカイーノ大将と彼の乗組員は、アカプルコに向けて出港し、 1614年 1月 に到着しました。記録によると、 主役となった日本の使節団はそこで出逢ったスペイン人とかなりの口論となり、アカプルコ市長自身の介入を余儀なくされました。

まもなく、メキシコ市街に到着した時、彼らは総督、メキシコの大司教の前で、また異端審問で、スペインへの旅行の目的を説明しなければなりませんでした。そのため、しばらくしてからスペインへの旅への許可が下りたのでした。こうして侍、支倉六衛門長経、修道士ルイス・ソテロと30人以上はようやく、ヴェラクルス港からスペインへ向けて出向しました。 残りの側近は支倉の帰りを待つために、アカプルコへ戻りました。
この後の出来事は、この物語の第二部でご紹介します。

本文 ウ-ゴ・パラシン・ホルダン

翻訳者 成田千恵

書誌

文化イベントパスポートのポイントで特典あり!

文化イベントパスポート

インスティトゥト・セルバンテス東京のイベントに参加して、全部のスタンプを 手に入れた方にはスペインクラブ店舗で使える2000円のクーポンを贈呈します。
またスペインへのペアチケット(イベリア航空協賛)が抽選で当たるチャンス あり。
パスポートはインスティトゥト・セルバンテス東京1Fの受付で配布します。
*インスティトゥト・セルバンテス東京生徒さんは1つのスタンプ優遇があります。

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Pasaporte cultural

¿Te animas a un viaje por la cultura hispana? Hemos creado un pequeño pasaporte para que lo rellenes durante nuestras actividades culturales. Si completas todos los sellos, obtendrás un bono de 2000 yenes válido en cualquier restaurante de la red Spain Club y participarás en el sorteo de un billete de avión a España para dos personas con Iberia. ¡No esperes más! Pregunta en recepción y obtén tu Pasaporte Cultural. *Los alumnos del Instituto Cervantes tienen derecho a un comodín canjeable por un sello

日本の中のペルー

日本の中のペルーセルバンテス文化センター東京では11月の期間中、アンデスの国のペルーの映画を特集しています。また、図書館の特別コーナーでは、ペルーの歴史、文学、文化を紹介しています。

日本とペルーの関係は、初めて日本人がアメリカ大陸の国々に移住した19世紀後半にさかのぼります。日本とペルーは1873年に外交関係を結びましたが、実際の関わりは1899年に大勢の日本人移民がリマに到着したのが始まりでした。ペルーは、ラテンアメリカで初めて日本との外交を確立した国で、ほとんどが若い男性労働者だった日本からの移民を認めた、中南米最初の国でもあります。

この移民は経済的な理由が中心だったといわれています。その頃の日本は、人口過剰による民主主義の危機と雇用不足で苦しんでいました。一方で、当時のペルーは地方の労働者を必要としていました。

そのほぼ100年後の1980年代から90年代にかけて、ペルーからたくさんの日本人移民の子孫達が戻ってきました。彼らは”日系”ペルー人と呼ばれました。彼らはこの時代のペルーの社会と経済の危機によって、先祖がしたのと全く同じことをしたのです。

日本政府はこの日系人の回帰を受け、日本の産業における労働力の必要性から、当時の移民法を見直すことによって彼らを受け入れたのです。

このペルー映画特集は11月9日(水)から始まり、2007年のアウグスト・タマヨ監督の作品『ウナ ソンブラ フレンテ』と、2008年にホセ・メンデス製作された『ディオセス』の2つの作品を上映します。どちらもペルー国内外で高い評価を受けた珠玉の作品です。

アウグスト・タマヨ監督は1972年に彼の父親によって書かれた小説からインスピレーションを受け、同じタイトルでこの作品を製作しました。主人公はペルー人の若いエンジニアで、アマゾンの森と国々を繋ぐ使命を受けます。この作品は2008年アカデミー賞非英語映画部門にノミネートされました。

ホセ・メンデスの『ディオセス』は、リマ南部の美しい海岸に住む家族の複雑な関係を描いた作品です。この作品はペルー、アルゼンチン、フランス、ドイツによる共同制作で、20世紀の終わりから21世紀始めのペルーの社会的地位の高い人々の生活を描いています。この映画は35以上の国際的な賞を受賞し、ペルー映画史上、最も多くの賞を獲得した作品となりました。

セルバンテスの図書館では、ペルーに関する本や映画のDVDを取り揃えていますので、ぜひお越しください。また、11月29日からは、ペルーの伝統織物の展覧会を行います。ミチェル&シアの国際コンクールの受賞作品の中から、手の込んだ繊細な手法の染色織物を展示します。

入場料は無料ですが、事前のご予約をお願いします。

文:シルビア・アゲッリ
翻訳 : 鶴羽 正高、高島 笑里

1989年にノーベル文学賞を受賞したスペインの人気作家カミロ・ホセ・セラの生誕100年記念日。

Página electrónica de la RAE

5月6日は、1989年にノーベル文学賞を受賞したスペインの人気作家カミロ・ホセ・セラの生誕100年記念日でした。

この100周年を記念して、マドリッドにあるセルバンテス文化センター本部では、9月中様々な活動・イベントを行ってきました。「カミロ・ホセ・セラ 最も近い記憶」と名づけられたその展示会では、それまで未公開だったガリシア人作家であるカミロ・ホセ・セラの60作品が集められています。

この展示会はチャーロとカミロ・ホセ・セラ基金により実現され、説が書かれた年月を共に過ごした作者夫人チャーロ・コンデ本人所蔵の資料によって構成されています。

この展示会では、「パスクアル・ドゥアルテの家族」や「蜂の巣」が書かれた際の原稿、写真、デッサン、詩、ペンや、その他の作品の初版本や初期作品、長旅の道中にホセ・セラがチャーロに宛てて書かれた多くの手紙のうちの幾つかが展示され、ホアン・ミロやパブロ・ピカソとの友情によって生まれた文芸誌「アルマダンス亭草紙」に掲載された本も展示されています。これら全ての資料からガリシアが生んだ作家の活力と創造性の軌跡を垣間見ることができます。

この展示会の開会式には、セルバンテス文化センターのビクトル・ガルシア・デ・ラ・コンチャ理事長、スペイン国立言語アカデミー(レアル・アカデミア・エスパニョーラla Real Academia Española)のダリオ・ビジャヌエバ学長、カミノ・ホセ・セラの息子で同じく作家・研究者のカミロ・ホセ・セラ・コンデ氏も参加しました。開会式でフェリペ国王はカミロ・ホセ・セラを「苦心の作家」「厳格な知識人」と称されました。

10月のバーチャル文学クラブでは、カミロ・ホセ・セラを特集し、彼の代表作である「蜂の巣」取り上げます。10月1日から10月30日まで、この小説について語り合うチャットに参加する為には、セルバンテス文化センター図書室のカードをご用意になり、このクラブのホームページに記載されている内容をお読み下さい。お問い合わせはeメールにて図書館長までお寄せ下さい。

文:シルビア アグエッリ
訳: 高島 笑里, 井出聖峰

ガリシアの日

ガリシアの日
9月に入り、皆さんの夏休みも終わられたころと思います。セルバンテス文化センターも通常に戻り、また新しい講座が始まります。新しいチャレンジにぴったりなこの季節、皆さんに耳寄りなお知らせです。セルバンテス文化センターでは、この10月からガリシア語のクラスを開講予定です。これまでカタルーニャ語とバスク語の授業がありましたが、今後はガリシア語も加わります。これで、スペイン国内の地方公用語は全て網羅されます。

ガリシアはイベリア半島の北東に位置し、歴史と文化のある自治州のひとつです。そこで今も大切に受け継がれている財産のひとつが、当地の母語であるガリシア語です。ガリシアは豊かな芸術と自然に恵まれているだけでなく、巡礼やケイマダ(蒸留酒に砂糖・レモンなどを加えた温かい飲み物)などの文化の発祥地でもあります。ガリシア地方の首都サンティアゴ・デ・コンポステーラでは、ロマネスク様式の美術・建築の傑作にも出会うことができるでしょう。この地方の首都と同じ名前を持つガリシア聖堂は、ガリシア地方やスペインの発展のうえで重要な役割を担ってきました。建築当初から現在に至るまで、サンティアゴの巡礼の目的地であるガルシア聖堂は、ガリシア地方とスペインの人々にとって、人々の交流によって生まれた高い芸術性や社会性を持つ重要な場所であり続けてきたのです。

セルバンテス文化センターでは、ガリシア地方についての情報をお届けしています。当館の図書室には、ガリシア地方の詩、歴史、文化や小説など、様々なテーマの蔵書があります。

9月8日(木)18:00からは、セルバンテス文化センター地下1階にて、ガリシア地方についてご紹介する「ガリシアの日」の催しを行います。入場は無料です。事前にご予約をお願いします。

「ガリシアの日」には、以下のようなプログラムが行われます。

  • ミニ講座「ガリシア語入門」
  • スペイン語講師マリア・メンデス氏による、ガリシア文化講座「サンティアゴ巡礼の道の歴史」
  • 美術学部卒で漫画のスペシャリストであるシルビア・サンチョ氏によるグローバルな観点での講義「ガリシア神話と日本の漫画の関係」「日本独特の美術表現である漫画」
  • ガリシアについての専門家、浅香武和氏による、日本語訳されているガリシア語作品についての講義
  • 石塚紀子氏のタンバリングループによる演奏
  • 会の最後には(ガリシア特産の食前酒)の試飲もご用意しています。

ガリシア語やガリシア音楽・文化・神話などに興味のある方は是非お越しください。お待ちしています!

文: Silvia Aguerri.
訳: 井出聖峰, Emiri Takashima.

アルゼンチンの独立200年記念日

Bicentenario independencia Argentina7月9日はアルゼンチンの独立200年記念日でした。この素晴らしい日をお祝して、今月はタンゴの国アルゼンチンの文化、文学、音楽、映画に注目したいと思います。

きっと皆さんはアルゼンチンについて良く知っているでしょう。サッカー、首都のブエノスアイレス、ペリトモレノの氷河、イグアスの滝、アンデスの山々…。本当に、アルゼンチンを連想させる単語は枚挙に暇がありません。しかし今回注目したいのは、我々が全貌を知っているわけではありませんが、国際的な期待が高まっているアルゼンチンの芸術作品です。

アルゼンチン文化の特徴は、その多重性です。つまり、アジア・アフリカからも大きな影響を受けたヨーロッパとラテンアメリカ文化の習合なのです。文学に関して言えば、アルゼンチンの文学作品はスペイン語文学の最高峰にあります。例を挙げるなら、アルゼンチン文学屈指の名作『エル・アルフ(Aleph)』の作者であるフアン・ルイス・ボルヘス、『石蹴り遊び(Rayuela)』を書いたフリオ・コルタサル、またアドルフォ・ビオン・カサレスやレオポルド・ルゴネスなどその他大勢です。それらの話は、現実の世界と夢の世界とが混在していることが多々あります。そこでは魔法と空想の要素は同一なのです。

もう一つ、音楽の世界ではタンゴが有名です。ダンスの一種であるタンゴは、ブエノスアイレス郊外で始まり、今日まで世界中で人気を博しています。ここにアストル・ピアソラ、カルロス・ガルデスなど、タンゴの王様として知られている偉大な作曲家たちを見ることができます。

最後になりますが、たいしたことではないですが、映画をいくつか紹介したいと思います。アルゼンチン映画はここ数年で広く認知され、数多くの国際映画祭で賞を受賞しています。『レラトス・サルバヘス(人生スイッチ)』、『ヌエベ・レイナス(華麗なる詐欺師たち)』、『エル・イホ・デ・ラ・ノビア(月の息子)』、『エル・セクレト・デ・トゥス・オホス(瞳の奥の秘密)』、外国語映画賞として2010年のオスカー賞を受賞しました。

フェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館では上に述べた映画やその他たくさんの映画を見つけることができます。

文: Kinue Tsubata Mestre
訳: 井出聖峰

スペイン語の日2016は7月2日(土)開催です!

El día e

スペイン語とスペイン語圏文化を愛する全ての人々のお祝い、スペイン語の日。
8年目を迎える今年は、7月2日(土)に開催されます。
毎年恒例のオープニングセレモニー「言葉の雨」にはじまり、
スペイン語圏諸国のガストロノミー試食会、ダンスと音楽満載の1日です。
ぜひみなさまお越しください!お待ちしております。

開催概要:
月日:7月2日(土)
会場:セルバンテス文化センター全館
入場料無料、予約不要(先着順)

プログラム:

セルバンテスビル エントランス
13:00~ オープニングセレモニー「言葉の雨」
東京外語大学サルサ研究会サルケンデスライブ
スペイン語圏諸国大使館様ご提供、試食・試飲会

学習部 *1F受付までお越しください。
12:00 スペイン語体験クラス
14:00スペイン語認定証DELE プレゼンテーション
15:00スペイン語オンライン講座AVE プレゼンテーション

B1 オーディトリアム
13:45開場
14:05 スタート

キッズシアターロス・セルバンティージョス
ベニート・ガルシア・フラメンコスタジオキッズクラス”BG chan”
NPO 日本マリネラ協会キッズダンス
メキシコ舞踊メヒコ・エン・ラ・ピエル
パラグアイハープ演奏アルコイリス
詩の朗読・ギター伴奏
(16:30 終了予定)

6Fフェデリコ・ガルシア・ロルカ図書館
11:00~17:30
メルカディージョ・デ・リブロス
セルバンテス賞40周年展覧会
図書館会員登録年会費(新規・継続)の10%割引あり。

*上記内容は予告なく変更になる場合があります。予めご了承ください。

 

La lengua de las mariposas (蝶の舌)

Lengua_Mariposas6月は、特に市民戦争に注目しました。というのも6月4日と6月25日、セルバンテス文化センター東京の地下1階オーディトリアムで “La lengua de las mariposas (蝶の舌)”という映画が上演されるからです。この映画はガリシアのとある村での、モンチョという少年と彼の教師であるドン・グレゴリオの友情を描いている。この話は市民戦争が勃発する直前の数ヶ月の政治的緊張状態を際立たせて展開されます。間違いなく、市民戦争は昔も今もスペインの歴史において重要であり、まだ同じようにスペイン人の心にとっても重要です。

来月(7月)は、スペインで市民戦争が勃発して80周年になります。市民戦争の始まりはスペインが2つの党派に分かれた瞬間でした。その後3年間、戦争は続き、混乱、恐怖、狂信、いらだち、静寂、苦悩がスペイン人の日々の暮らしに溢れていました。そこで今月、私たちはこのような感情を表現している文学や映画の登場人物たちを取り上げようと思います。彼らは今日になっても、私たちをその複雑な時代の目撃者にするのです。

今月私たちは図書館にManual Chaves Nogales (マヌエル・チャベス・ノガレス)の”A sangre y fuego “やAntonio Muñoz Molina (アントニオ・ムニョス・モリナ)の”La noche de los tiempos “、Francisco Ayala (フランシスコ・アヤラ)の”La cabeza de cordero (子羊の頭)”などの文学作品を展示するコーナーを設置する予定です。また”Las largas vacaciones del 36(36人の長い休暇)”、”El viaje de Carol (カルロスの旅)”、”Soldados de Salamina (サラミナの戦士)”のような映画作品もその他の映画と共に展示する予定です。

そこで、ぜひ”La lengua de las mariposas (蝶の舌)”の上映に訪れたり、市民戦争の初頭の雰囲気をまとった文学や映画のコーナーを味わいながら図書館を散歩してみてください。

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